南阿佐ヶ谷のドトール

日曜の午前11:30を回らない頃、6個入りパックの卵をそのまま片手に、もう片方にアイスコーヒーを持って中年の男性が席についた。このような飾り気のない人間を見ると明るく陽気な感じがする。夏が終わり、夜は肌寒い日が増えてくるにつれ生活に窮屈さを感じるようになってくる。

約1年前の夏、芸人の卵とおもわしき男性が、相方かマネージャーとおもわしき男性に謝っていた。どうやら家賃が間に合わないだとか、この間のネタはウケなかったとか、夢追い人の話を無料で聞けるなんて、あぁありがたいと他人事として捉える精神疾患真っ最中の女がいるわけである。

その街ごとにカラーがあり、ここ、南阿佐ヶ谷は荻窪と阿佐ヶ谷の中間にあり、東高円寺から隣の駅というのも相まって、みながそれぞれ自由に過ごしているのでとても心地よい。これが純喫茶だったら恰好がつくのだろうが、純喫茶は店主の目があるし、最近のレトロブームとやらで飾らなければならない気がしてなんだか緊張してしまうのだ。

精神科閉鎖病棟入院4回

「気品があって大人」

つい最近、初めて会った人に言われた言葉だ。そうだ、私にはそういうところがある。誰がどう見て精神疾患患者だと思うだろう。誰がヘルプマークをつけ始める動作を見てるだろう。誰が、障がい者手帳2級を持っていると思うだろう。私の初対面はそれくらい、至って普通、もしくは普通より少し上だ。

身なりには気を使う。髪は常に艶がなくてらならないし、癖なんてあってはならない。メイクのヨレも汚らしいから、ナチュラルなメイクを心がけている。可もなければ不可もない服だが、チープな素材の洋服はなるべく着ないようにしている。ネイルはシンプルで綺麗なのが気に入っている。

「薬を飲んで下さい!」

思い返せば大学生時、私は薬を飲むのを極度に拒んだ。分かるだろう。分かる人には分かるだろう。精神科の薬など、気休めに過ぎないくせして大きな副作用と戦わねばならないのだ。それだけでない。精神薬を飲むということで、自身の世界が消えてしまう気がしたのだ。それこそが病気というものだろうと今になって振り返り書き留めたくなる。

精神科の入院までの道のりは長かった。私が初めて入院したのは21歳だ。身体を男の若い医師に押さえつけられ注射を打たれ、気が付いたら私は窓のない灰色の部屋にいた。部屋にはトイレは剥き出しで、ベッドはなく刑務所のような敷布団がゴミのように転がっていた。

未筆

ヒールを辞めた。6cmのヒールをやめて、フラットシューズを履くようになった。それが分岐点だった。22歳。

6cmのヒールは背すじをのばさせて、気高い気分になった。実際、身長が168ある私は174cmにもなって清々しい心意気で街をカツカツ、音を鳴らして歩いた。銀座が好きだった、日本橋も好きだった。風情のある昭和が漂う銀座と、白い龍がすっと通り抜けそうな健やかな白純が似合う日本橋が好きだった。ヒールはそこに私を置いてくれた。ここだけが私の居場所だと思った。行くアテもなくただひたすらに街を歩いた。少し疲れたら安い喫茶店に入り、活字を追ったり書いたりして時間をつぶした。周りのみなは社会人として立派に働いているというのに、私ときたら精神科の医師にドクターストップをかけられ仕事どころかアルバイトすらさせてもらえない状況だった。焦燥感と闘いながら、ヒールのカツカツ音でそれを消し去ろうともがいた。それから色々あったのち、私は急激に痩せた。拒食気味と診断書に書かれていた。

乖離

東京という街は人との身体的距離が、他県と比べて近い。電車、カフェ、道、スーパー。どこへ行ってもそうだ。そして身体的距離に対して心理的距離は遠い。誰もが警戒している。身体と精神の距離感に乖離があるから他県から来た人々は口々に東京人は冷たいと言うのかもしれない。しかしながら東京で育った私からしてみればこの乖離が心地良い。身体は恋人同士のように、付き合ってるのかと思うほど近いけれど心理的には遠く離れている。物理的な暖かさに優しさを覚える。

斜陽族に粉砂糖をかけて仕事をしています。

「15:48」PCの左下、小さい数字を確認する。そっと席を立つ。

隣のデスクの上司はかれこれ30分、女性社員と談笑。黙りこくって仕事をする傍ら、どうやら医学的に脳がおかしいらしい私は2人に生ぬるく、ぬめぬめとした嫉妬心を抱く。嫉妬心を紐解き、顔を覗かせるのは怒りだった。ボディタッチや軽口を叩くことのできない自分を高く見積もるも、それを難なくできる隣の隣にいる女性社員のほうが社会的に好かれることに怒りを覚えてるようだ。なるほどこれは確かに生きづらい脳をしている。誰の邪魔にもならぬような静けさを計らって席を立ち、デスクを離れる。15:48。えぇ、まだまだ頑張りますとも。

部屋から出る、社員証の「ピッ」の音に合わせて甘い匂いを感じた。バニラモカだ。給湯室だろうか。誰かが仕事に一息つこう、と、バニラモカをほんのついさっき入れたのだろうか。甘い匂いは廊下の空気ぜんぶをふうわりと占領していた。空気の細かい粒子の中ひとつひとつにバニラビーンズが入っているような甘い匂い、空気はバニラビーンズの黄色がかった白がキラキラと舞っているよう。甘味は愛情と錯覚しやすいという言葉を思い出し、細やかな粒子の愛情に包まれた空気を愛おしく感じた。

2日間不在だった上司はさみしかった?と私に問うた。子供でもあるまい。フォルダを作成しておいたら拍手して大褒めときた。恥ずかしい。決して可愛がってもらっていないわけではないはずだ。けれども自分は不幸だ頭がおかしいなどと思い描き、次には甘い匂いがどうたらなどと言う。斜陽族を感じ恥じ酔いしれる。病むことを許された良い環境で育ってきたというのに、実に浅はかな人間である。斜陽族と異なる点は、甘味に固執する点だろう。仕事をしていても甘いものを口に、目に、嗅いだりすれば柔らかくなれる。私が斜陽族のよう、没落せずにいられるのは甘味への執着。斜陽族に粉砂糖をかけて仕事をしております。