ここに、こう、つらつらと書き綴るのは久々だなと思う。昼寝から覚めた(といっても18:30という中途半端な眠り時間。)という事で寒い。加えて昼寝の副作用、自律神経の乱れもついてきたようだ。呼吸が浅い。筋肉が緊張している。前と比べて文章が書けなくなったなと何となく思う。前はもっと流暢に、時間を忘れて書いていたけれど、最近はあまりそのような文字たちの連なりが訪れて来ない。ぬるいさみしさの正体を解くことに従事すれば、大体は解けてしまうのかしらと解答らしきものを、ハッキリとした枠で縁取られたものらで目に、耳にして感じることが増えたからなのかしら。大人になるということがどういうことか、まだ説明するには青すぎるのだろうけれど、まだ青く、まだ甘くない果物の新鮮さは清々しくて好きなので、こういうことを書くのは許してほしい。どうでもいいけど、かぼちゃのクリームシチューが食べたい。寒くなってきました。でも恋人の家は階が高いからか寒いどころか、蒸し暑い。なので私のこの寒くノスタルジックな感傷は、環境要因だと言えてしまう。蒸し暑い部屋ではノスタルジックな感傷に浸れず、ただあっけらかんとしているか、感情が手に取るように分かるか、だ。恋人と書くのは恥ずかしい。私は恋愛処女なので、この単語を文に入れ込むにはまだ早いらしいことに今気が付いた。好きな人とかに書き換えたほうが安心するのかしら。自分にそういう、皆と同じ経験(恋愛)が訪れるとあまり思っていなかったことに加え、半端諦めていたので私は今現在、お恥ずかしい、だいぶ手こずってるように思う。どうでもいいけど、皆、この道を通ってきてるのかと思うと、どう考えても私が生きてきた所は浮世離れした、あの世らしきもの程に現実感の無い感覚世界だったような気がする。だった、と書いたけれど、たまにフッと顔を出すのだからdid とhave doneの中間くらいかもしれない。良し悪しを決めるのは、感覚的な私自身を否定するように思われるので、あまりしたくないが、ま、ほんのすこし罪の香りが漂っていることを、感覚的な私の嗅覚を用いて感じる。これなら感覚的な私のwin-win。お腹すいた。それを超えて胃が痛い。