わたしがほんとうにたいせつな本は 森博嗣でもなく ヒトラーでも岩波文庫でもなく よしもとばななのキッチンであることを知りながら その名前を外にだしていないだけなのです ほんとうは 誰よりも誰よりも 普通の女の子であることを 心の奥底で知ってしまっている気がします でも それを毎日の生活で たいせつに たいせつに しながら進むと たくさんの砲弾が 飛んでくるように感じます ほんとうのやさしさ は やさしさだけではない といいますけれど きっとそれを言った人の ほんとうのやさしさ は ほんとうのやさしさ じゃないんだよ と 思ってしまいます ほんとうのやさしさ は ほんとうに やさしさ だけだよ 金に群がる女の子を騙して一般人を見下している そして しかしながら 少なくとも一般人よりは相当な額のお金を稼いで結果を出している あの男の人が 立体的で複雑 かつ高度な脳構造をシンプルに披露してたのに 私が 女は容姿 と同意を求めたら 今までの高度な脳構造を捨てたかのように急に 女は優しさ と言ったのを思い出した  

 

 

外で雨が降っている 今日は雨が降る と言われておけば 前もって心の準備ができていたのだろう とぽっつり心にまた隙間風が通る 出来事 なんて天気のように 変えられないものだと思う そういうと 人は ネガティブになるな と言うかもしれない いやいやポジティブである などとどこかの哲学者は言うかもしれない あとは 無責任だ と言う人がたくさんいるだろう 天気予報という頭の良いものがこの世の中にはあって 頭の良い人達が 明日の天気を予測してくれる 頭の良い人達はすごいんです だって予測した明日の天気が 毎回ちゃんと当たるんだもの でもほんとうにそうなのかしら 自然現象やら科学的視点やらから推測された仮定の天気を みんなが当たり前のように信頼し そこに不可能の可能性を見出すことをしない 希望 は起こりうる可能性のあるものにしか抱かない だから希望というものは 可能の感覚 と どっかの本にあった 神様はどうやら 希望というものに対して寛容であるらしいので そう考えると ただ単に 晴れという可能な感覚が 希望が 神様によって叶えられているだけなのではないだろうか とかむずかしいことを考えてしまってる自分に おどろく むずかしいことはわからない わたしはただ ふつうのおんなのこ であることをかくしてるだけなんです 雨の音を聞いてかなしくなる 部屋が真っ暗で少し心細くなる 布団がふわふわですこし あたたかくなる チョコが食べたい なんか甘いものが食べたい すきなひとがほしい 楽しいお友達と一緒におはなししたい かわいくなりたい ほしいものはほしい。わたしは 普通の女の子よりは 普通じゃないけれど でも 本当のわたしはみんながいうほどじゃないの わたしは普通の女の子にしかなれない 普通が1番 と言うけれど そんなのいやだよ だってわたしはふつうのおんなのこだから。