お前は子供だと言われたら わたしは傷つくけれど でも実際 子供なのだと思わなければいけないのだと思う 逃避が趣味です などとふざけた言霊には きっと悪霊が取り憑いている しかし悪霊のせいにするのも 悪霊に申し訳ない
いつかメッキは剥がれると そう言ったあの人の意図が理解出来ない でも少し分かってしまったような気がする 何かが大きく欠けていて私は本物の馬鹿なのか 賢いのか 分からない
賢いと言われれば その言葉に素直に喜び受け入れるが 馬鹿だ と言われれば心の底で癇癪を起こす 私はどこも謙虚ではない 謙虚と言われ持て囃され賞賛されたが それはただ単に 自信が無いだけで 謙虚という言葉とは真逆
なんでも本物を味わっていたい
本物の自信はきっと美しいのだと思う 心は本来 水のように透き通っていると 本に書いてあった事が あの頃読んだ言葉と重なり悔しく思う 自信 という言葉が嫌いだ 幾度となく他人の自信に傷つけられてきた私が 自信 を好きになるなど 無理難題に近い 本物の自信が美しいのなら なぜみんなの自信は美しく見えないのだろうか と思考した時 その原因は私のフィルターが鮮明に映りすぎてるからなのではないか と おこがましくも そう思いたくなる 他人の責任にするな と いう声を無視していいのなら いや 私は無視し続けてきたのだが 生きやすくみえて もしかしたら生きにくい 少数派の私にとって 俗に言う この世 は生きにくい もうそれは もしかしたら一生付きまとうのかもしれないと思うと悲しくなるけれど 薄々気が付いて でもそれでいて薄々期待しているのかもしれない
批判される という事と 教わる という事は 似たように捉えられて 間違えやすくて もろい 自分にぽっかりと空いた穴に ねぇそこ穴が開いているよ 落ちないようにきをつけて と 言われてるだけなのに 残酷な風景を思い浮かべている 日常に潜む 微かな会話の中に 楽しみが見つからない 地獄に落とされはしないが しゃくしゃくと私の心を蝕んでゆく 人と交わっているのに 交わってない気がして 孤独 が 私の友達になる 孤独 に寂しいと思う感情は無いけれど 人は1人では生きていけないことも知っている そんなことを考えながら過ごす 孤独 という友達との時間が きっとあまりにも多すぎるのだろう 楽しい を味わうと途端に とても楽しくなる 人はそれを 躁 と呼び 病気 と言うけれど 何でもかんでも病気にしてしまうのは 責任が無いし 勿体無い
答えがあるものを探索するのに 意味を見出せない 答えがないものを探索するから 探索 というのではないのか あるものを立証する事は とても大切な事なのだと知っているが しかし 私にはそれが難しい