疲れた

 

疲れたと感じる時ほど思想を巡らせてしまうのはなんでだろう

 

色々なものに感化されやすい人間だから1度に色々なものが来ると対処しきれない みんなと一緒のペースで歩ける能力がない自分を見て、落ち込み、逃げ、甘えてるだけではないのか マイナス思考はいいよな、楽だ、鬱病はいいよな、甘えだ そういう思考は理解できる部分があるから全てを否定できない 否定できたらどんなに楽だろうと思う 苦しみは比較するものじゃないのに、人々は比較したがる もう頑張ってます限界です でも人から見たら頑張ってないのかもしれない それくらいでそんな寝込んでしまうのは精神が弱いからだ幼いからだ、と こう、書いている間にも些細な言葉を思い出して冷静に納得する自分と心の中で泣いてしまう自分がいる

 

甘えはそんなにいけないことなのか みんな甘えてるじゃないか どこかに部屋を見つけてそこに逃げて甘えてるじゃないか 私はたまたま部屋に誰もいなくてたまたま社会的不利な立場に追い込んでしまう部屋だっただけじゃないのか 自分の主張に自信を持ちたい 嘘でも自信が持てたらどんなに楽だろうと思う けれど嘘の自信は美しくない

 

私は部屋番号は知らないし鍵も持っていない 

 

知らないことで保たれる美しさもあると思うし知ることで得る美しさもあると思う 

 

自分だけで知ることは難しい 人から吸収してしまった、もしくは人から吸収した言葉や感情たちが液となって入り濾過される 出てきた液にはバラつきがあるものの それは濃厚な甘い蜜となる 宅急便が来る 部屋に届けられる 小さくて綺麗なビンに入れられたそれを私は一旦光が当たっている床に置いて眺めてみる 見て色々なことを考える 時間がかかる それに満足してきたらやっとそれを肉体に注ぐ それも時間がかかる どうやって肉体に注ぐか考える 紅茶に入れるのもいいしスクラブに混ぜて使うのもいい 葡萄酒に入れるのもいいし肉に浸しておくのもいい そんなことを考えていると日が暮れてきて不安になる 外の車の音で安心し照明をつける 調理する 肉体に注ぐ 血肉になる 

 

 

私は気が付いたらその部屋にはいなくて現実の世界に戻ってくる そしてコンビニで安いカップラーメンなんかを買ってしまう 自身の血肉となり何も残っていないお皿に意味を見出すほどずうずうしいことはしたくない

 

カップラーメンなんかでも血肉となってしまうらしい、もしかしてプラマイゼロなのでは。