生活の中で 気持ちが落ち着いている と感じるのはほんの数分や数時間で あとは ただ息をするのが難しかったり 暗いトンネルを文句を言いながら通ったり 一歩間違えれば死んでしまう崖でぴょんぴょん跳ねたり 空を飛んで天使になる妄想にふけったりする。現実 と呼ばれるものと手を繋ぐことが苦手だ。現実 を みんなよりも頭では知っていながら 1番恐怖している。怖い

 

親は私のことを 逃避癖がある とか 継続力がない とか 根性がない 言う。先生は私のことを 甘えではない と言う。精神科医は 病気 の診断名をつけ 臨床心理士は 強迫性のパーソナリティ障害 と曖昧につぶやいた。病気ではないのは確かだとして あと残りのものに不正解をつけるのは難しい。結局 判断は自分でしなければならないのだが 今まで私は自分の意思で判断することが少なかった。意思 ではなく 勘 で判断してきた。だから私の意思を聞かれると悩んでしまう。意思は確かにあるのだが 口に出して相手に伝えるのが怖い。おびえている。常におびえている。人におびえている。ならば人を嫌いになれば良いものを 人が好き と勘が朗らかに笑いかけてくるので 錯覚してしまう。しかし本当に錯覚してるのだろうか。意思 と 勘 だったら私は後者を信じる。2つが反対の方向を向くことは今まで無かったからかもしれない。人が怖いけど人が好き なのは私にとって栄養だ。人間というものは幸せから栄養を吸収するのかもしれないが 毒こそが私の栄養だ。

 

知らないふりをして 誤魔化して 生きていくことが 年齢を重ねるごとに難しくなってきた。

 

「大人になったらできるようになることがたくさんあるよ」と街中に溢れる大人達が発泡酒片手に笑っていた。でも 大人に近づけば近づくほど 出来ないことが増えていくよ。

 

石田が さよならも言わず みんなの前から急に姿を消したのは 事実だ。謎になる。迷宮入りする。そう思いたいけれど きっともうみんなそんなことは忘れている。悲しいし悔しいけれど仕方がない。みんなは 現実 と手をとって並んで歩いているのだから。今更 堕落した人間に 温かい紅茶を出すような馬鹿な事はしない。死体が転がっていても 遅刻したら怒られてしまうから 通勤電車に乗り込む。朝日を浴びて喜びを感じる音楽を聴きながら 筋トレの本を読む。会社に着いた頃にはもう 死体の記憶は 人間の唾液がこびりついたガムになるように脳がすり替えてくれている。同じ 苦悩 でも 脳みその構造が違うと君たちのような処理が出来ないみたいだ。深夜特急の電車に乗り 無音の夜の海を見て  星屑のような文章に頭を抱えた人間は 死体に温かい紅茶を出す。死体がガムになった人間は 君は自分に酔っている と笑い者にしてくれるので 私は その居場所に心から感謝する。コップひたひたに入った感謝が溢れても また感謝が注がれる。この紅茶はあまり好きではありません。美味しいのですが。あったまりますが。しかし。あの たまにはもう少し苦味のあるものでも。茶葉が浮いてるくらいの。と言うわけにもいかず その紅茶を飲む。深夜特急の電車に乗る前に 自動販売機で買った安い紅茶の方がやけに美味しかったりする。艶やかな黒髪を垂らしたメイドのお姉さんが 冷たい手で出してくれた紅茶が心に染み渡ってしまったりする。どうしても抑えきれないものが自然と溢れてくる 溢れて無くなってしまうなら 飲みたくない。あの、私は、これ、やっぱり、もう、飲みたくないです。と言うと お姉さんがその場でカップごと床に叩きつける。細い白い脚に破片が飛び散り血が流れ出る中 黙々と掃除をし始める。あの、すいません、手伝います。と言うと 濡れたような髪から覗く真っ黒の瞳が私の心を見抜いた気がして焦った。隠さなければと思った時にはもう遅くて 冷たい手で私の髪の毛を撫でた。私は泣いてしまった。お姉さんが白い指先で窓の外を指したので目をやると 雪が降っていてびっくりした。さっきまで降っていなかったのに。雪だ。と思って振り返ると お姉さんはそこにはいなくて ただ新しく温かい紅茶が丁寧に用意されていました。