逃げだと思うと苦しみが襲うけど 私は逃げている気がする。あの日 台風が来て日にちを延ばしてくれた。何かが私に手を貸してくれた。それが無ければ逃げとは思わないけれど それがあるせいで その時はそれに救われたけれど 貴女のしてることは逃げなんですよ 残念です と言われてる気がする。健全と思われる温室部屋で苦しみを味わってる。その苦しみは嘘ですか?。誰かに聞かれ 誰かに問う。それは私であるけど本当に私の苦しみなのか。この苦しみを君達は理解出来るのだろうか。痛い!やめて!もうやめて!というのも少しだけ違う気がする。確かに痛いが虐待をうけてる人と苦しみの種類が違う。実は 産まれてきてごめんなさい と幼稚園に入る前に数回思ったことがありました。苦しみを味あわなければいけないような気がする。大袈裟に言うと 苦しみを味わって清算するために産まれてきた気がする。苦しみがないと不安になる。幸せになりたい。けれど幸せの中で不安を生じさせてバランスをとって安心してる自分がいる。それは確かに 逃げ だ。不幸を纏うことで安堵感を得る。それは立派な逃げでしょう。コントロールはある程度出来ることを知ってます。出来るけれど 私の好きなものを全て封印して あぁ それで本当にいいのでしょうか。まだ気がつかないんですか。私は気が付き始めています。でももし気が付いてしまったら 行き着く先 それは崩壊に近い。でも大丈夫でしょう。私が産まれた限り苦しむことはない。もう私にあまり話しかけないでください。お母さんの苦しみは封印しているだけです。消えていない。それはまだこの世の中に存在している。悪魔を封印するのは最終手段です。生ぬるい空気に悪魔はヨダレを垂らし札をそっと取り 今度は優しく背後に忍び寄る。何も見えない住民が慌てふためく中 不思議に思う。なぜ この集落には朝が来なくなったのか。産まれたばかりの赤ん坊の声が鳴り響く。月と星の光しか知らない赤ん坊が太陽の光を見たら目が潰れるらしい と近所のおばさんが笑いながら言っているのを伏し目がちに聞いた。コンビニで買った麦茶を抱えて持って歩いているあの子の上だけに また雨が降っている。太陽の光は夢の中でしか見れないけれど きっと本物の太陽の光よりも ずっとずっと美しいのではないか と思う。写真で見たり人から聞いた太陽のことより 私が夢の中で見た太陽の光のほうが綺麗な気がした。でも この集落のほとんどの人達に話してしまったら泡のように消えてしまうと思う。だから私は絶対に言わない。人魚姫は泡になって消えると絵本で読んだ。私は人魚姫になりたくてもなれない。それが どうやらみんなが言う「現実」らしいので消えることも出来ない。みんながいう「感謝」をしている私を見て コンビニで買った麦茶を飲みながら歩いているあの子が 顔を真っ赤にして私に麦茶を投げつけた。お前はもうその前から濡れてんだよ と泣きじゃくりながら言う。雲の上に太陽がある絵を見て 小学生の私は泣きました。