とても冷静な時間にいる。先週の今日はもう東京にいたのかあ。なんだか時の流れが狂っている気がする。家族といるときと1人でいるとき。全く、とは言わないけれど少し違う人のように感じる。人といるときは一般的に言う''おかしい''の言葉を使うと、おかしくならないけれど、ひとりでいるとおかしくなりやすい。誰も私の1人の時を見てないから分からないと思うけれど。すこし冷静が崩れてきた。けれど続ける。書くことであの時の思考を思い出せる事は多少ある。思考を、忘れるのが良い事なのか悪い事なのかわからない。でも新しい思考はなるべく考えたい。

 

私は今回、死にたい、と1回も思わなかった。思わなかったというより、何が何でも思わせないようにしていたのかもしれない。死にたいと呟くあの子は死ねば良いと思ったし、死にたいと言って実際に死んだあの子に 死んでくれて良かった と思った。12回も自殺未遂してる人間は はやく死ねよ と思った。現実と戦ったり仲良くしたりする気が無くなってしまったから自殺をしてしまった。自殺は逃げではなく苦しんでいたからと言い変える事も出来るけれど、いくら精神病になったって私のような人間が自殺をするのは逃げだなあ。だって私は精神病じゃないと思うから。苦しんだから死んだのではなく、逃げたいから死んだ、と言わなければいけない気がする。人間は神様が精密に作ってくれたおかげで確実に死ねるかもわからず、万が一、自殺が成功したときに残された人間の悲しみは悲しみを越えて苦しみになる。そんなことを考えたら自殺なんか出来やしない。冷静に考えなくても、死にたくない。本当は自殺する人たちだって死にたくなかった。生きたいから死んだ。なんだか最近 自殺 に関しての情報が入ってくるなあ。そういう情報を意識的に探してるわけじゃなくてたまたま見ていたドキュメンタリーで好きなアーティストが みんな死んじゃう周りで今月3人首つった と言っていたり たまたま見ていたブログで 好きな著者の後輩が自殺した とか 普通にツイッターを見ていたら数年前のツイッタラーが自殺していた とか たまたま見ていた信ぴょう性のある精神薬の薬botを見ていたらその中の人はもう自殺していた とか たまたま電話していた人が 友達が死んでばかり と言っていたり そういうの。でも私は自殺したくないんですけど(笑)となった。

 

でも昨日 高速バスに乗ってるときに 急に幼少期の頃から小学生 中学生 高校生 大学生の出来事 思考 感情 がブワッと押し寄せてきて 別に死について考えていたわけでもなく苦しんでいたわけでもないのに フッと これ自殺出来るなあ と感じた。思ったのではなく感じた。急に何かが舞い降りた感じ。それからすごく穏やかな気持ちになった。時間の流れが甘くてまろやかでゆっくりで気持ちが良かった。ずっとバスに乗っていたかった。

外気は寒くなってきた 本当に冬が来るらしく コートを着てる人がたくさんいる 街 あたたかい飲み物が売れ出してる マフラーが店頭に並ぶ 枯葉を集める小さな男の子の手 車いすに乗る無表情の老人 レシートを淡々と破く男性 履歴書を書くサラリーマン 起業の本を読む青年 どの人にも冬が訪れるらしい 愛おしいね 愛おしい 誰が愛おしいとかじゃない 寒くなったらコートを着て外に出る人間全員が愛おしい