メモ帳に書くのが久しぶりだ。

目が悪いくせにコンタクトもメガネもしないから人がぼやけて見える。だから目線が合ってるのか合ってないのか分からない。人が 私を見たときに それは 本当に私を見ていたのか 分からないということ。それは 色々なことにも言える。ほんとうの私を見る人なんて あまりいない。見て欲しいけれど 見て欲しいという気持ちが汚い。

私はスタバを嫌っていて なおかつ見下していたけれども もう今は前ほど嫌いと感じることはなくなった。中学生、受験生、ファミリー、オタク、汚い服を着た中年男性、お姉さん、お兄さん。スタバはファミレスだ。前々から 良い例えが掴めなかった。例えというより事実 ファミレスだと言いたい。悪質なファミレス。お洒落というベールを纏っている。お洒落を名乗らなければお洒落を感じさせられないのであれば それはお洒落じゃない。高校を退学したあの子がスタバでバイトをしていると聞き 嬉しく思った。あの子はお洒落に負けた。とても面白い。みんなどんどん負ければいい。高校時代 スタバの長い名前のフラペチーノを頼んでは 友達と写真を撮ってSNSにあげていたのに 最近になって「スタバで写真を撮るのはダサい」「スタバならコーヒー」と言っているのを聞いて そうだね○○ちゃんは流石だね と言いながら まだお洒落に負けているのに気がついていないその子を見下して楽しむ。滑稽だ。1番滑稽なのは私だと私が言っている。みんなどんどん負ければいいと思えば思うほど 見えないなにかが離れていき 私は孤独になっていく。滑稽だね。あの時にみんなより先に思ったことが今になって流行となる。みんなより先を行っている訳ではない。ただ わたしはみんなの中でしか存在できない事が とても滑稽だ。
スタバを批判するみんなが羨ましい。

上の階は 床に絨毯がひいてあり 外が良く見え そして照明を極力まで落としており 立派を気取っているようにみえるソファーが置いてある。それに比べて私が今いる下の階は床が安っぽい木でひきつめられており これまた安っぽい木で出来た机と椅子 雑な照明が煌々とつけられており そして何よりお洒落に負けているのにお洒落を身につけられていると根拠のない自信を持っている大男のような人間が描いたであろう 頭の悪いパシフィックの絵が一面の壁にデカデカと描かれている。なぜここにこの絵を採用したのか。スタバの上層部にコネがあったのか。謎である。なので私は この圧倒的負け組の下の階から抜け出して 普通の負け組である上の階にどうしても行きたい。しかしなかなか席が空かない。みんなお洒落に負けている。私も悔しいと思いながら負ける。でも私は接戦だったと思う。しかし なんということか。驚くなかれ。上の階の席がひとつ空いた。私は今いる馬鹿なテーブルから ゆっくりとコートを手にとり上の階へ足を運ぼうとした。その途端 ぽわんぽわんという気持ち悪い音を出す男と女が私の前に突如現れた。案の定 席を取られた。「あーおまえらさっさと死ね」と声に出して言ってしまったので私がびっくりしたしとても面白かった。先程も道でブツブツ呟きながら歩いていたので人が好奇な目で私を見たのが本当に面白かった。(死にたくないので)死ね と最近は言っている。家の中では常に言っているが 外に出ても言葉が習慣づいて出てしまうので 凄いなあと思う。そういえば端っこにいる女のところに男が別々に2人来た。何なんだ。きっとその女がシナモンのぬいぐるみを持っていたら 携帯をいじる時だけ枕にするだろう。そして男が家に来た時に何の疑いもなく言うのだろう。
「シナモンすき〜」

シナモンを育児放棄しているくせに好きも何もないだろう。私のシナモンはと言うと 実はこの前私が包丁で ぶっ刺してしまった。特に首のところをたくさん刺した。しかし私のシナモンはしぶとく なかなか切れなかった。シナモンは水色の目で天井を見ていた。私は泣いた。シナモンは痛かったのだ。知っていた。シナモンが痛がっているのを知っていた。しかしそのシナモンの水色の目が私の目と被り 憎たらしくなったのだ。あーーーーやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな。シナモンは今は実家で療養させている。念が入ったシナモン 誰かが触れたれたら私は微笑むだろう。しかしそのあとシナモンに謝る。汚い汚い人間の手によって穢されたシナモン。かわいそうなシナモン。また天井を見つめてしまう。それでも言えるのか。端っこの女はそれでもまだシナモンが好きだと言えるのか。言えないならシナモンのぬいぐるみを家に置くな。小さなゴミ袋に息が出来ないくらいにして捨てろ。そういえばフェイスカバーを逆に被ると息が出来ない人みたいになります。みなさんもUNIQLOの店員さんに見せてみてはいかがですか。

 


70歳代のおじいさんが もそもそ と音を立てながら原チャリに乗って近づいてきてしつこく会釈を繰り返すので会釈をした。「遊ぼうよう」と 黄色くなった歯から爪楊枝を覗かせながら にこにこしている。ごめんなさいね と言いながら横切る。真っ直ぐ歩いているとまた もそもその音がついてきて「おねえさん 遊ぼうよう」としわしわの手が挙がっている。わたしは気持ちが悪いのと汚いのと卑下してる心があるのに綺麗な薄いベールでつつまれていた。気がつくと私はおじいさんの口の中の爪楊枝になっていた。口の中はねばねばでべとべとでぎとぎとでにゅるにゅるだった。そして慰安婦に抱いた恋心という名の野生的な性欲が粘膜を構成していた。その慰安婦の味が少しだけ爪楊枝に付く。それは美味しくもないし不味くもなかった。ただぼんやりとした灰色の塊があるだけだった。私は手を伸ばしてその塊を持ってみる。柔らかい。なのに何故かずっと持っていると硬くなってゆく。私はその硬さに吐き気がして泣きたくなって 気がついたらげんじつのせかいに戻っていた。何もない灰色の塊の感触が生々しく残っている。だんだん手がねばねばし始めたので手を洗ったら本当に何もなくなってしまった。