特に何かを書きたいわけではないが、暇なので書く。自己嫌悪は言い換えれば それほど自分に興味がある と、今日の天気は曇りだけどお天道様がその上に絶対いちゃうんだよな と 同じリズムで放たれた雑な言葉を 拾えよ と言われてもないのに 床に手をついて舌を出しながら舐めようとしてしまう。言葉というのは 本当にウケるな。あの子が言った エビアン水 と あの子が言った エビアン水。あの子のエビアンは悔しいけれど似合っていて、しかしお洒落にとどまるところが滑稽だと感じ、あの子のエビアンは水道水以下の価値もなく、そこには滑稽さも何も生まれていないように見えてしまうので通り過ぎる。あの人が言った うん、いいね と あの人が言った うん、いいね。重い。軽い。あの人の いいね は軽すぎて人間と会話してる気にならない。私だけが一方的なコミュニケーションを取っている。話せば話すほど悲しみが底の底へ沈み、もうだれもそれを救えなくなる。でも あの人の言った いいね は 人間と会話してると もしかしたら人間じゃないかもしれないけれど それでもいいと いやむしろそうであって欲しい 等と幼稚な発想を笑ってくれるから 私のグラスには果汁がきちんと絞られた大人になりきれない子供の為の カクテルが 控えめに なみなみに注がれ 出される。一杯 2500円する 東京駅の某ホテルの最上階の 360度ガラス張りのバーで飲むカクテルの味が分からないけれど それでも気分だけは最高に美味しい。百万ドルの夜景 などというフレーズに踊らされる自分達の心を馬鹿にしながら飲む馬鹿みたいに高いアルコールを体内に入れて細胞が反応する、この快感。