見返り を求めない人間がこの世の中に本当に存在するのか 損得感情に動かされず ただ慈悲の心を持って邁進する人間が この世の中に存在してるとしたら 是非お会いしてみたい 

是非お会いしてみたい などと 上から物を言う時点で 何かが鼻に付く 所詮 私は大人になれない子供だということを自覚すればするほど責任を回避しつつ人の上に立ちたがる 滑稽ですね と言われれば 知ってます と言う だって知ってる それを言われた時 どこか悲しくなる なぜ悲しくなるのかはわからないけれど しかし こういうのは 批判 と呼ばれるものではないのだとも思う 無意識にいる悪い虫なのか良い虫なのか分からないけれど とりあえず無意識にいるなにかを触って ねぇコレ、なに? と ただ好奇心で聞かれているだけに過ぎないのかもしれないのに 

 

なるべく傷付きたくない

 

擦り傷もたまになら良いけれど

大きい怪我は治りが遅いし

同じところばかり擦り傷作ってたら どんどん深い傷になってしまうね 

 

あんまり同じところに傷をつけないで と思うけれど でも痛みは慣れに変わるのかな そこにあった痛みがなくなったとき 違うところに傷が出来て どこか安心してる自分がいた 

 

人が その人の言葉を使ってあまりにも冷静で的確な表現を私に そっと渡したり 投げたり 刺したとき というのは 手段は全く異なるから感情の揺れは異なるけれど でも受け取ったものの原材料は全て同じなことを きっと私は知っている

 

ナルシストな人間から脱却したい そしたら自己愛にまみれた人間から脱却したい 自己愛はまみれるものじゃない 自己愛は丁寧にくるまれてるもの 一定の思考を持った人間は自己愛を批判するけれど どう持つかによって 全く異なる物となってしまうし なれるね 変身シーンみたいに華麗でなくていいから 上手く操りたくない どうしてそうやって上下関係で感情を動かすの わたしはただ なかよくしたいだけ いつも会わなくてもいいから 仲良しだよ って言って ちゃんとお話しができて 楽しい をしてくれれば それで良いし それがとても難しくて それがとても贅沢。